おはようございます。


「未見の我」は現時点では、認知のしようがありません。

何せ、自分も知らない、他人も知らない自分なのですから。


ただ私は、苦境に追い込まれたとき、何か辛い局面を迎えているとき、そして迷ったときに、自分には「未見の我」自分の未開発の可能性があるのだ、ということを信じています。


私は私なりに今まで一所懸命に生きてきましたが、まだ試したことのないことや、磨いていない能力、...